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~管理車両のご紹介~
D51 14号機
車両紹介
D51形蒸気機関車は、1936年から1945年までの9年間に1115両(輸出用を含めると1182両)製造され日本で一番多く造られた蒸気機関車です。その数の多さから"デゴイチ"の愛称で親しまれています。製造期間も長いことから様々な形態があり、中には別形式のような見た目をした車両もいました。
14号機は、1936年2月29日に大阪の"汽車製造株式会社"で製造され、最初の4年間は東海道本線などで活躍しました。その後1940年に遠く離れた北海道へと渡り1973年に廃車となるまで名寄本線や宗谷本線などで活躍しました。現在は北海道で活躍していた時の姿で、千葉県流山市総合運動公園に保存されています。
ちなみにD51 14号機は、番号の通りD51形の14番目として製造されていましたが、同時期に別の工場で製造されていた1号機(トップナンバー)の完成が遅れたため、最初に完成したD51形は流山市の14号機となり実質のトップナンバーとして知られています。
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(工事中)
流鉄 キハ31
車両紹介
流山鉄道(現:流鉄)のキハ30形は、それまでの蒸機列車に代わる車両としてガソリンカーの導入を決定し、1933年~1934年にかけてキハ31,32の2台が汽車製造株式会社東京支社で製造されました。同形式の二台ですが、搭載されたエンジンが異なるほか車体の大きさが若干違っていました。また大きな相違点として、キハ32には「木炭ガス発生装置」が搭載されており、当時の燃料事情を反映した仕様となっています。この2台は流山鉄道が電化されるまで旅客輸送の主力として活躍しました。
キハ31は1933年3月に製造された車両で、現在の姿と同じあずき色をしていました。馬橋駅側には荷物台が設置され、前後両側の左側に運転台を備えたロングシートの車両です。しばらくは素のガソリンカーして活躍していましたが、電化して3年後の1952年になると、エンジンなどの機関・運転台・荷台が撤去され、付随車(サハ)に改造されました。その後1959年には撤去した荷台の部分まで客室を延長する改造が行われ、現在の姿となりました。付随車となったキハ31は、ラッシュ時間帯を中心に電車に引かれて活躍しましたが、1963年5月15日に廃車となりそのままの姿で流山駅の車庫で休憩室・倉庫として使用されていました。現在は現役末期の姿で千葉県流山市総合運動公園に保存されています。戦前に製造されたガソリンカーは現存数が少ないため、大変貴重です。
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(工事中)
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